輸出茶ラベル「蘭字」を読み解く 「アイノ茶」の語源

アイノ茶の語源は、これか?と思われるお話し・・・・

 

幕末から日本茶の海外輸出が始まり、輸出向けに仕上げ加工の手法の違いで、主に3種類のお茶がありました。

①篭(バスケット)を用いて火入れ乾燥するバスケットファイヤード=篭茶

②釜(パン)を用いて火入れ乾燥をするパンファイヤード=釜茶

 

そして、③「アイノ茶」です。

そのアイノ茶、篭茶と釜茶の中間くらいのものだから、「あいのこ」から名称がきてるのか?などというお話もあったのですが、、、、

 

『横浜茶業誌』(昭和33年、横浜市茶商組合)p120に、当時の茶業者の古老たちのお話の中に、語源と思われる内容が掲載されていました。

 

~~当時、取引された日本茶の種類について~~(以下引用)

 

「初めの中の種類は、主として天下一(名称)でしたね。(明治十二年前後迄)丁度、楊枝位いの長さに、きれいに出来ていましたね。最も、その頃は、量といつてもいくらでもなかつた様でしたよ。包装は、ふつう、荒茶をその侭、木箱(百斤箱)に入れていました、が途中、ちょつと大海(ダイカイ 紙袋)になつた事もありました。」

 

「篭(カゴ)、釜(カマ)茶が主力となりました。」

 

「合の園(あいのえん)と言うのもありましたね。篭茶と合(ごう)したやつの事です。」

 

~~~(以上)

 

篭茶と釜茶を合した、というところから「アイノ園」→「アイノ茶」になってきたのではないかと読んでます。

また、昭和五年の『茶業年鑑』(静岡茶時報社)には、「アイノコ」からきているという説が書いてあります。

「輸出茶の主流を為す釜茶(パンファイヤードPF)籠茶(バスケットファイヤードBF)の中間にある、アイノコであると言ふ所から称している」

 

ちなみに、アイノ茶は、英語名では「ナチュラルリーフ」。

日本の蒸し製緑茶で、着色もしていないお茶です。

(参考)NATURAL LEAF 本色茶(通称「アイノ茶」):1876(明治9)年、内務省が内国博覧会跡に製造場を設け「本色茶」という無色茶の製造を奨励した。基本的には籠火入れで仕上げられた。*内地向けの「煎茶」の仕上げと同じで摩擦(白ずれ)加工をしない。(『紅茶百年史』)



(輸出茶の歴史に詳しくない方は、え?日本茶って着色してたの?という疑問も出てくるかもしれませんが、別項で着色のお茶については書くことにします)

 

アイノ茶(無着色茶)と並んで、混乱されやすいのが、「サンドライド」という着色茶です。サンドライドのお話は、次回お書きします。

 

「蘭字」と呼ばれる輸出用日本茶ラベルの文字には、当時輸出されていた日本茶の種類などが書いてありますが、どんなお茶が扱われていたのか?これから少しずつ読み解いていきたいと思います。
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吉野亜湖(茶道家・茶文化研究者)
静岡産業大学 非常勤講師
担当授業 日本茶文化史、日本茶概論、伝統文化演習

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(『蘭字』井手暢子より)

 

                 

吉野亜湖 (茶道家・茶文化研究者)
静岡大学非常勤講師