サンフランシスコ日本茶体験

吉野亜湖「海をわたった菊川茶2」配布資料

二〇一八年六月十日 【おんぱく】菊川レンガ倉庫講演会

 

日本茶とアメリカの水

 

一月、米国・サンフランシスコにて開催された米国西海岸最大級の高級食品見本市「ファンシーフードショー 」、ニューヨークの全米茶業協会STIスペシャル・ティー・インスティチュート)などで、日本茶輸出促進協議会の事業にて開催した日本茶セミナー講座を担当させていただきました。そして、2月にボストン、ワシントンで、明治から昭和に掛けて日本茶がアメリカで販売されていた歴史の軌跡を追うことができました。

 

1月19日に渡米し、最初に向かったのは、ファンシーフードショーの会場があるサンフランシスコです。サンフランシスコの気候は、冬は雨季で雨が多いのですが、比較的温暖で、ちょうど東京の3月くらいの気温でした。

 

 展示会場の下見を終え、我々がまず向かったのが、地元のスーパーやドラッグストアです。もちろん、日本茶セミナーに使用する「水」の選択をするためです。一般の方も手に入りやすいものをと、棚に並ぶミネラル・ウォーターから、硬度の低いものを選び、いくつか候補を購入してホテルに戻りました。今回の宿泊先は、展示会場に近いということもありがたかったのですが、二階に「茶室」があったことが、日本茶PRスタッフを大いに喜ばせました。我々が「茶室」と呼んでいたのは、英語で「ティールーム」と入口に書かれた簡易な朝食会場で、朝食の時間帯以外は自由に使用できる部屋なのですが、「茶室」そのものとして使用させてもらったのです。

 

そこに買ってきた水のペットボトルを並べ、まずは冷水点でスタッフ全員が共通認識を持っていた品種の煎茶を淹れ、試飲してみました。

「え?日本で飲んでいるのと印象と違う・・・」

 

最初の候補の一本目は、日本茶のうま味がしっかり出るのですが、日本で親しんでいる茶の香りや爽やかさが感じられず、これほど水で味香が変わるのかというのを思い知らされた一杯目でした。それから同じ水を沸かして湯で試してみると、嫌味は無いのですが、期待していた茶の本来の持ち味が出てこないため、一本目は候補として残すが、次を試してみることになりました。

 

二本目は、冷水で淹れても茶の味が変化してしまう、それは湯にしても同様でしたので、却下。さらに三本、四本と試飲を重ねていきました。杯を重ね、うま味があり嫌味のない一番目の水で妥協するかと、結論が下されようとしたとき、一度却下された水と同じブランド名でも、「ピュア」と「スプリング」と表記された二種があることに気がつきました。「ピュア」の方を試して外されたブランドでしたので、期待はしませんでしたが、一応、最後の最後に「スプリング」の方も試してみようということになりました。すると、この水が一番、日本で飲む味に近いということがわかったのです。このブランド名が「ナイス」であったことから、スタッフが口々に「ナイス!」と、喜んだことはご想像いただけると思います。(御一笑)

 

既にこれだけの茶を茶室で試飲した後、「地元の水道水でも試してみましょう」と、沸かした湯と水で淹れてみました。その結果、「サンフランシスコの水道水は日本茶に合う!」ということが判明し、全員の顔が、ぱっと明るくなりました。

 

つまり、日本茶を楽しめる基盤が既にあるということです。

 

サンフランシスコ市の水道水を調べてみると、日本と同様の軟水(平均硬度55mg/l程度)で、最大の水源は、シエラ・ネバダ山脈内のヨセミテ国立公園北部とスタニスラウス国有林に建設された三つのダム群とのこと。約600ミリリットル以下のペットボトル飲料水は、公共の場での販売を禁止する条例があるくらい、水道水を安全に飲める土地なのです。アメリカの水道水は、そのまま飲めないとばかり思っていたので、日本茶を紹介するチームにとっては朗報でした。

 

これは、ニューヨークでも同じ結果だったこともお伝えしておきます。さらに、偶然にも別途調査で向かったボストン、ワシントンでも日本茶と現地の水が合うということがわかりました。(全米がそうだというわけではなく、偶然、調査に行ったところが良かったというのが不思議な縁です。)もともと明治から日本茶が受け入れられていたこれらの地で、現代も日本茶カフェがあるというのが見られたのもうなずけます。

 

富士製茶会社

明治、大正、昭和初期、多いときでは九割近くの日本茶が輸出向けに製造されていたことはご存知かと思われますが、その主要な輸出先であるアメリカの玄関口の一つがサンフランシスコ港です。サンフランシスコには、明治期、富士製茶会社の支店がありました。記録に残された住所から、偶然、見本市会場の目の前とわかり、感激しながら会場に向かう途中でその地に立つと、現在は、ブルーボトルコーヒーなどのカフェが並ぶ通りになっており、なんとも感慨深いものを感じております。

 

クリフハウス

また、大正時代に日本茶の輸出拠点、そしてアメリカの方への日本茶教育や普及活動のための日本茶カフェが、サンフランシスコの「クリフハウス」内にあったということはご存知でしょうか。現在も、当時の姿が偲ばれる形で建物が残されておりました。もちろん、日本茶カフェは既にありませんが、レストランとして経営が続けられています。ここでサーブいただいたお湯を使って在来の手摘みの日本茶を淹れ、カルフォルニアの牛乳を加えてミルクティーにし、当時の飲み方を再現してみたところ、最初は遠慮していた日本人も一口飲むと、「美味しい!」と声を上げました。明治、大正期に好まれた日本茶をかって日本茶カフェがあった場所で、その美味しさを確認できた縁にも感謝します。

 

近代、日本茶普及活動の拠点であった地の水が、日本茶に合うということを知り、翌日からの日本茶PR活動に大きな力をいただいたスタッフ一同でありました。

 

ファンシーフードショー

ファンシーフードショー会場は三つのエリアに分かれており、入り口近くのエリアには、常連の大手出展者が並び、日本茶関連ですと、伊藤園、あいやのブースを見つけることができました。両社とも、抹茶商品の紹介が目立っていました。第二エリアは、国別のブースが並び、JETROが設置した「ジャパン・パビリオン」が中央に広く取られ、その中にアメリカに支店を持つ杉本製茶、白形伝四郎商店など、米国への商流を確保している企業を中心に、各企業が小間割でブース展開されていました。会場で配布される日刊の公式案内誌には「ジャパン・パビリオン」の広告が全面一ページに、毎日掲載されており、力の入れ具合が感じられました。

 

マッチャとセンチャ

フードショーの日本茶セミナーでは、アメリカのバイヤー、料理教室の講師、農学部の学生などが参加くださいましたが、「マッチャは知っているが、センチャは知らない」というアメリカ人が殆どで、煎茶の品種別の茶を飲んだ時に、コーヒーチェーン店を経営されているオーナーの方などが、「こんな飲み物があったのか!」扱いたい!というように驚かれていたのが印象的でした。コーヒーも現在、シングルオリジンやコールドブリュー(水出し)が人気が出てきているため、グリーンティーの人気もこの流れにあるようです。

 

アメリカの出展者のマッチャ関連の商品が、ボトルでフレーバーのバラエティーがあるものや、スイーツなど多くあり、日本人よりも、アメリカ人自体が、マッチャに対して多くの工夫と広告宣伝をして、販売努力をして下さっているのを目の当たりにしてきました。

 

また、彼らの認識している「Matcha」とは、いわゆる粉末茶(煎茶パウダー)であることがわかりました。アメリカでのMatchaは粉末茶、日本の本来の「抹茶」は「セレモニアルグレード(茶道用)」と、分けて販売されています。セミナーで、粉末茶(アメリカではMatcha)と抹茶を飲み比べていただいたところ、違いがはっきりわかったようで驚いていました。ただ、アイスクリームなどスイーツの原料には粉末茶がコスト的に見合う事、粉末茶は苦みもしっかりしていることからあえてこちらを選ぶという方もあります。(日本茶輸出促進協議会のホームページより抹茶のアメリカ市場調査の報告書が出ていますので、併せてご参考ください)

 

以上、簡単ですが、資料では、本日のお茶の紹介を兼ねて、サンフランシスコの一部をご報告させていただきました。

配布資料より

 

吉野亜湖

静岡産業大学非常勤講師