維新の際、旧旗本の人々を静岡に移した時の
勝海舟による~静岡の茶文化の話~に目が留まりました。
海舟の談話集『氷川清話』「兵站の記録」の中で、語られています。
「一万二千戸よりほかにない静岡へ一時に八万人も入り込むものだから、」とあり、当時、江戸から来た多くの客人たちへの静岡人の混乱の様子が偲ばれます。
そして、お茶を出すときは、
「土地の習慣で茶を出すにも茶釜で煎じて、汚れた茶碗に汲み、下女などもひびだらけの手で差し出したが、
二年、三年と年を経るに従ひ、それが段々江戸人を見習ふようになって、茶釜も急須になり、汚れ茶碗も立派な品になり、家の妻君などを着飾って茶を出すようになり(以下略)」
江戸の人たちが大量に静岡に入ってきたことで、
なんと、静岡の茶文化が変化したことがわかります。
これは、当時の記録として、面白い!ですよね。
大久保一翁は最初、こんなところで(こんな風に茶を出すような静岡に、零落したとはいえ江戸の人々を置いて)「大丈夫か」と心配していたそうですが、
海舟は、
「おれは心配は無用だからうっちゃっておけと言っておいた」そうです。
「世の変遷といふものは、まあ、こんなものさ」と、海舟。
ああ、当時の静岡の茶文化について語り残してくれて、本当に海舟に感謝です!