江戸のお仙茶屋「茶袋」お茶は汲んで出すもの~お茶の文化創造博物館の楽しみ方

新橋旧停車場に、お茶の文化創造博物館がオープン。

 

内覧会にお伺いしてきましたので、

たのしみポイントをご紹介してきます。

 

第二弾は、「江戸のお仙の茶屋」

 

「茶袋」お茶は汲んで出すもの

 

と、タイトルしてお話したいと思います。

前回、江戸で大評判だった美女「お仙」の茶屋についてご紹介しました。
→こちらの動画解説もおすすめ

 

会いに行けるアイドルといった存在の「お仙」を描いた浮世絵は、鈴木晴信だけでなく、数あります。

 

これらの浮世絵から、お仙の茶屋を通して、皆さんに江戸の茶文化を体験していただける場を博物館に、ということでご協力させていただきました。

 

今回、この茶屋について調べるきっかけをいただいたので、私自身とても勉強になりました。そしてその作業はとっても面白かったので、皆様も博物館であれこれ楽しんでいただきたいと思い、お書きします。

 

お仙が持っている「茶台」については、前回お話しました。

 

今回は、茶について見ていきましょう。

 

鈴木晴信「かぎやお仙」東京国立博物館

 

茶釜で茶を煮出し、柄杓で茶を汲んで出している様子です。

 

茶釜で湯を作るのではなく、

茶を煮出すのですね。

 

お茶はどんなもの?

 

釜で煮出すのであれば、番茶だったと思われます。

 

1783(天明3)年、浅間山の大噴火で泥流に埋まった八ッ場の村々(農村)からの発掘品を調査に行きました。庶民の家の囲炉裏にあった茶釜は、茶袋が入った状態で発掘されていました!(感動!)

 

茶釜の中に茶袋(八ッ場天明泥流ミュージアム展示品)



江戸時代の天明年間の生活そのままに、八ッ場天明泥流ミュージアムに展示されていますので、ご興味のある方は、ぜひ行ってみてください。(私は大感動しました)

 

 

茶袋は今でいうティーバッグですよね。

お茶の文化創造博物館の茶釜の蓋も、開けて見ると・・・

ちゃんと茶袋を入れてありますので、そこもぜひご覧ください。

 

そのため、柄杓はお湯を汲むものではなく、

茶を汲む道具です。

 

江戸時代の発掘品で確認しましたが、庶民の家庭で使用されていた柄杓は、「柄」には細い竹をそのまま用い、「合」の中に指し通してありました。茶道具の柄杓のような丁寧な作りではありませんでした。

 

茶代はおいくら?

内覧会でも質問がありました。

「お茶代はいくらだったのでしょう」

 

江戸時代後期に書かれた百科事典と言える『守貞漫稿』によれば、客の置く茶代は、江戸は100文置く者もいるが、平均すると24~50文程度とあります(蕎麦一杯16文の時代)。[1] 

 

また、関西と関東では趣が異なったようで、同書に以下のように書かれています。(以下要約)

 

京坂(京都大阪)では年配の女性が、朝に煮出した茶を一日中使用し、一人一碗しか出さない。茶代は5~10文。

 

江戸は二十歳前の若い女性が美しい装いで茶を出し、客ごとに茶を煮たり、竹の茶漉しで一杯ずつ作るので美味しい。一杯目はその漉し茶、二杯目は桜花に湯、三杯目は香煎を出す。(巻六「生業上 茶見世」)[2]

 

18世紀後期になると、お茶も「芦久保(静岡)や宇治」または「唐茶」等の上級品を出す店もあり、庶民も良質なお茶を親しむ文化が出てきます。[3]

 

茶漉しで「漉して出す」お茶は、このような上等品だったのではないでしょうか。

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吉野亜湖

静岡大学非常勤講師

専門 日本茶文化史(近代、近世)

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これから要調査部分

 

桜湯や香煎を出していたとなると・・・

この蓋つきの器はそれらの入れ物でしょうか。

茶碗が置かれている棚だけに注目してみると、

 

筒茶碗はわかります。

一番上の段の黒い蓋があるような器は?

ーーこれも茶碗でしょうか?



そして一番下の棚にはふた月に見える器か茶碗があります。

まだ調べられていません。


茶釜の茶袋の中の葉が、「チャ」であるのかも含め、これからも調査し新しい発見があったら、またご報告します。博物館ともども楽しみにしていてください。

 

参考

[1] 喜田川守貞(北川庄兵衛)『守貞漫稿』は1837年から約30年間で、全35巻に渡る。(刊行は明治に入ってからである。)水茶屋で茶漉しを用いて淹していた茶については、1斤(600g)6匁(約1万円)程度を用いているとある。江戸時代後期の相場は、金貨1両=銀貨60匁=銅貨(銭)6500文。(参考 貨幣博物館 https://www.imes.boj.or.jp/cm/history/historyfaq/answer.html)2022.9.25閲覧。

[2] 喜多川守貞『類聚近世風俗志 : 原名守貞漫稿』更生閣書店,1934年,118頁。

[3] 恕堂閑人『寛保延享江府風俗志』1792-(「続日本随筆大成」別巻8,1982年,19頁)と、西村俊範「笠森お仙と隠元薬缶」89頁にある。(『京都学園大学人間文化学会紀要32』京都学園大学人間文化学会, 2014年)