新橋旧停車場に、お茶の文化創造博物館がオープン。 内覧会にお伺いしてきましたので、 たのしみポイントをご紹介してきます。 第二弾は、「江戸のお仙の茶屋」 「茶袋」お茶は汲んで出すもの と、タイトルしてお話したいと思います。前回、江戸で大評判だっ…
新橋旧停車場に、お茶の文化創造博物館がオープン。 内覧会にお伺いしてきましたので、たのしみポイントをご紹介してきます。 第1回目のお話は、 江戸時代の茶文化 茶台とは? 博物館には、「茶運人形(ちゃはこびにんぎょう)」が展示されています。 茶運…
アイスティーの起源は? というテーマについて書いてみたかったので、番外編です。 2024年4月1日現在のchat GTPでは、 「アイスティーが大衆的な飲み物として広まったのは、 1904年のセントルイス万国博覧会がきっかけとされています。」 と返ってきます。 1…
お茶の時間「ティータイム」はいつ? 答えは、“All Time” 『ALL ABOUT TEA』の著者ウイリアム・H. ユーカースが主筆をつとめた業界誌『ティー&コーヒー トレード・ジャーナル』に、小売店のための広告案という記事がありました。「ティータイムに最適なのは…
ティーバッグはいつから?そして日本茶のティーバッグは初期のころからあったのか? ユーカースの『ALL ABOUT TEA』(1935年)を中心に調べてみたいと思います。 wikipedia(2023.11.23閲覧)には、 ティーバッグは1908年にコーヒー貿易商であるトーマス・サ…
講演会などではすでにお話していますが、『ALL ABOUT TEA』に掲載されている「初の茶の真空パック 1900年」は、日本茶!だったのです。(下図) W.H.Ukers"ALL ABOUT TEA" 1935,Ⅱ279. 日本では「ヒルスコーヒー」(サンフランシスコ本社)で知られる「ヒ…
『ALL ABOUT TEA」の著者W.H.ユーカースが、大正13年に来日。 ユーカースが驚いたのは・・・ 日本ではほぼすべての駅で、温かい緑茶のR・T・D=「ボトルティー」が買えることでした。 (そして私が驚いたのは)同様にインド・セイロン紅茶の浸出液も、茶色…
『ALL ABOUT TEA』の著者ユーカースの明治40年の日本訪問記を読んでいます。 『Tea&Coffee Trade Jouranal』1907年13号(ニューヨーク市立図書館所蔵)から Tea in Formosa and Japan その4 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー About Japanese Tea C…
『ALL ABOUT TEA』の著者ユーカースの明治40年の日本訪問記を読んでいます。 『Tea&Coffee Trade Jouranal』1907年13号(ニューヨーク市立図書館所蔵)から Tea in Formosa and Japan その3 ーーーーーーーーーーーー いよいよ日本茶編です。 Tea in Japa…
ユーカースが見た明治の 「台湾と日本の茶」2です。 『ALL ABOUT TEA』は大正13年に日本と台湾に調査に来てますから、 こちらの記事は明治期なので、重要な記録なのです。 1のつづき・・・ Tea in Formosa and Japan 台湾の昨今の動きについて 価格競争に…
台湾と日本の茶 『ALL ABOUT TEA』の著者ユーカースが主筆を務める『Tea & Coffee Trade Journal』(1907年13号)の記事ですが、 なんと、表紙が大谷嘉兵衛!(まだ若い雰囲気で感動) ユーカースは、早く父を亡くし、大谷嘉兵衛を「第二の父」と慕っていま…
煎茶の淹れ方 いつから湯冷ましを推奨するようになったのか? 近代の茶の淹れ方について調べてほしいという宿題をいただきました。日本茶インストラクターのテキスト等で、煎茶を淹れるときは70度くらいに湯を冷ましてと教わりました。(私は10期生なの…
前回、茶の木に「雄」「雌」があるということで、ご紹介した明治の茶業書『製茶新説』は、明治六年の刊行ですから、幕末くらいから明治初期の日本茶について読める本だと思います。そこで、この書にある明治初期の製茶法について、まとめてみました。 すると…
増田充績編『製茶新説』(三省書屋)は、「実施経験」から書かれた茶の栽培製造者向けの実用書です。日本茶の輸出が盛んになってきた明治六年の出版です。 渋沢栄一が、あとがきを書いて推薦しています。 『製茶新説』渋沢栄一あとがき(国立国会図書館デジ…
「ヨンコン茶」は、「グリ茶」または「玉緑茶」とも呼ばれます。 昭和初期、中国の勾玉状の釜炒り製緑茶を模して、蒸し製で製造の工夫がされました。 昭和初期 大正末に日ソ国交が復興し、「ソ連(南露)」に玉緑茶、北部アフリカと西アジアに玉緑茶と紅茶と…
日本茶の最大輸入国であるアメリカで起きたお茶の裁判をいくつかご紹介したいと思います。まずは、大正時代のお話です。カーター&メーシー商会が、「これは納得ができない」と訴訟を起こします。1915年6月に勝訴判決が出ています。静岡にも支店があった全…
わびとは何か? の続きです。 珠光の時代 数江氏は、「珠光は、唐物道具に対する美的視点を転換させてしまった。」と言います。 珠光は、利休さんの二世代前の茶人です。 皆さんは「珠光青磁」茶碗というのをご存じですか? 珠光が好んだという茶碗は、 澄み…
茶道で言われている「わび」という言葉、軽く使ってますが、説明すると、何? ・・・ということで、数江教一氏の著作『わび』という本からひも解いてみましょう。 言葉としては、 もともと、思い煩(わずら)う、はかなく思う、という「わぶ」(動詞)からき…
ロバート・ヘリヤ先生のご本『Green with Milk &Sugar』 ~日本の緑茶がアメリカのティーカップを満たしていた時代~ 少し前のブログで一部ご紹介しましたが、今回は、ヘリヤ先生のルーツについて書かれているところを。日本茶の歴史について知りたい方は、…
たぶん、間違いなく、日本茶業組合によるアメリカ初の日本茶試飲催事は、1911(明治44)年、西巌海外派遣員によるセントルイスの「グランドリーダ」デパートで行われました。このデパートは日本茶好きでいらしてくださったようで、同年、デパート内に…
高林謙三のお話 明治後期から大正期には、手揉み茶から一部機械化、 さらに全体が機械化されていく過程にありました。 1897(明治30)年、 高林謙三(当時66歳)が粗揉機を発明します。東京の茶試験場で、秋葉をもって日本一の手揉み名人大石音蔵氏(試験…
ロバート・ヘリヤ先生の 『Green with Milk and Sugar: When Japan Filled America’s Tea Cups』 を読んでいます。タイトルも魅力的! 緑茶とミルクとシュガーが、アメリカのティーカップに満ちていた時代のお話。紹介文に、「忘れられてしまったアメリカ人…
《一期の茶会》 中銀カプセルタワービル《一期の茶会》 世界的に有名な建築家黒川紀章氏による「中銀カプセルタワービル」・・・解体が目の前という「一期(いちご)」に、 なんと、この場で茶を飲むという会を開催させていただくことができました。 さて、…
大正時代に書かれた 『What Everyone Should Know about Tea』 ~誰もが知っておくべきお茶のこと~ 『All about Tea』を書いたW.H.ユーカースの小冊子です。 タイトルからして、 手にしたくなるような一冊ですよね。 15ページくらいで短いので、目次とい…
明治28年(1895)全米の新聞に、 日本人「KUMPEI Mtumoto(松本君平)」の名前が 何度か繰り返し掲載されました。 全米で有名な『リッピンコット』誌に、 松本君平が「日本の茶道」についてエッセイを書いたからです。 『リッピンコット』は、当時世界で最も…
茶業番付 大正十年二月十八日発行 静岡県茶業組合総合会議所から 大正10年「茶業番付」 第一次大戦後、貿易が落ち込み、当時の静岡のお茶は、海外へ向けた輸出茶の製造が主でしたので、組合が「茶業宣伝隊」を作り、この大番付を持って巡回し講演を行ったそ…
静岡県茶業試験場の研究員でいらした森薗市二氏。 彼が残された文書や研究報告から、 手書きのメモで紅茶の鑑定用語がありました。それをメモしたものです。紅茶好きの方に頼まれていたのに、すっかりお伝えするのを忘れておりました。茶の文化振興の一助と…
明治、大正、昭和と「世界の茶の動きを全て把握していた男」と言われていたウイリアム・ユーカース。世界的に著名な茶業全書『ALL ABOUT TEA』*(1935年)の著者である。 「オール・アバウト・ティー」の名の通り、世界の茶の歴史、技術、科学、商業、社会…
喫茶去 唐代Tang dynastyに名を馳せた禅僧、趙州(778年 - 897年)は、教えを求め訪ねてきた者に必ず「喫茶去」(まあ、茶を飲もう)と答えていました。不思議に思った院主が、「禅師はなぜ誰が何を言おうと、『茶を飲め』と言われるのですか?」と聞いたと…
スウェーデンのラジオ局の方に「茶道とは?」というインタビューをしていただいたので、その時のお返事メモです。 英文チェックは入ってませんのでmemo程度ですが、とても良い質問をいただいたので、一部を共有させていただきます。 Please introduce yourse…