ロバート・ヘリヤ先生のご本『Green with Milk &Sugar』
少し前のブログで一部ご紹介しましたが、今回は、ヘリヤ先生のルーツについて書かれているところを。
日本茶の歴史について知りたい方は、無視できない部分です。
ヘリヤ先生の祖先は、日本茶の貿易商でしたので、その歴史にも触れられています。
(ヘリヤ商会は現在、静岡に本社があり、日本人の経営者に引き継がれています。)
皆さんも日本茶貿易の先駆者、また、坂本龍馬など幕末の志士の庇護者としても有名な大浦慶。(この方を知らない方はいないでしょう)
嘉永6年(1853)に、出島のオランダ人テキストルに茶の見本を託し、イギリス・アメリカ・アラビアの3ケ国へ送りました。3年後に、見本を見たイギリス人貿易商ウィリアム・オルトが長崎で、大量の茶を注文します。
(長崎のグラバー邸にもまだオルトの屋敷が保存されています)
大浦慶は九州一円の茶をかき集め、1万斤をアメリカへ向けにオルト商会を通じて輸出しました。
このオルトをサポートしていたのがヘリヤ一族。
ここから日本茶貿易に関わっていたのです!
そして、ヘリヤ商会が設立され、静岡にその中心を移し、戦前の日本茶の貿易をリードする一商社として、日本茶の茶業組合によるアメリカの日本茶販促委員のメンバーにも選ばれています。
そのため、ヘリヤ商会の歴史を見るというのは、すなわちアメリカへの日本茶の歴史を見るということにもなります。
さらに、素敵な思い出話が序文にございます。
ヘリヤ先生は、日本茶の貿易商の妻であった祖母から、1930年代初頭、日本に居た時の話を聞いていたそうです。
私の二人の祖母は、日本茶を好んでいたアメリカ中西部出身です。
ですので、孫の私には紅茶を出しますが、
大切なお客さまには、緑茶でもてなすのが常でした。
中西部の彼女たちの世代にとって
緑茶は、紅茶よりもエレガントな飲み物なのです。
また、この文章もかっこいいので、簡単な訳と、ヘリヤ先生の原文を引用させていただきます。
この本の執筆中も、茶の芳しい香りと穏やかな覚醒作用に支えられてきました。
そして、祖母のもてなし方に重ね、この一杯に含まれる歴史に驚いています。
(原文)Fragrant cups of that gentle stimulant sustained me during the writing of this book.With a nod to my hospitable grandmothers, I have found that a surprising about of history can be contained a simple cup.
私もいつも、お茶のカップが、何かをするときに共にあります。
皆さまもきっとそうですね。
吉野亜湖
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静岡大学非常勤講師
ふじのくに茶の都ミュージアム客員研究員