『ALL ABOUT TEA』の著者ユーカースの明治40年の日本訪問記を読んでいます。
『Tea&Coffee Trade Jouranal』1907年13号(ニューヨーク市立図書館所蔵)から
Tea in Formosa and Japan その4
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About Japanese Tea Culture
山城はデリケートな色と味
川根(kawani)はリッチで良質
静岡はスタイリッシュなバスケットファイヤード遠州は良質 風味しっかり
八王子はリッチで川根に似てる
伊勢は下級茶の産地
というのが当時の評価です。(p20)
(kawani, yensui, hachiogiとちょっとなまってる?)
「静岡茶」は、駿河エリアの茶ことを言うが、出港地の名前で呼ばれるのでこの名になる。清水港が整備されたので、将来は「清水茶」と呼ばれる可能性もあるかもしれない。
なるほど、八王子茶は狭山の茶ですが、八王子経由だったのでこの名前を持っているのと同じですね。
国内の茶の流通について記し、皆さんご存じのバスケットファイヤード、パンファイヤードの再製法について述べ、各産地の茶園面積を一覧表で示し、ここからが面白いかも・・・
スミスベーカー商会に今後の日本茶貿易について語ってもらってます。
明治40年になると、日本は工業化をすすめ、人件費や物価が高騰し、伝統産業にとって厳しい環境となり、
良質な茶を生産できる環境は減り、今年は良質な茶はますます手に入りずらくなると覚悟している。
逆に、アメリカ政府の求める標準茶の質は上がってきていて、この差が広がる。
下級茶をアメリカ以外の市場を探す時期に来ている。
そして、次の段ではユーカースが日本茶の将来について一言。
The Future of Japan Tea(p21-22)
10年後に47%と中国茶と並んだ。
1905年から30%台に下がり始めている。
これは、中国茶に抜かれたのではなく、インドセイロン紅茶が勢いをつけてきたから。
この状態を打開するには!
広告!!
インドセイロン紅茶の広告に今やメディアを占めている。
日本茶の広告をせよ!
とこの時から、主張していたのですね!
(大正期からだと思ってた)
今回は台湾茶を丁寧に書きたかったので、日本茶の部分は少し端折りました。
写真は静岡の茶園、京都の工場(と言っても女性が座って選別作業している写真)p22
p23の写真はhotey co. 京都とあるのですが、横浜とずいぶん違って見えます。
1.testing and sampling
火鉢の上に鉄瓶を置いて正座してる!
2.basket firing
これも床に座った珍しい形
3.firing tea
ふんどしのみ付けた複数の男性がホイロで茶を揉んでいます。
4.near viwe firining process
こちらは法被を来た男性たちの手もみの手元も写してます。
5.sorting tea
天井からつるした籠に入れた茶葉を篩いにかけている様子(法被を来た男性)
6.sorting tealeaves
こちらは正座した女性が着物姿で茶の選別中。大ぶりの硬葉に見えます。
許可申請していないので、お写真をアップできず、簡単な解説で申し訳ないですが、どこかでご紹介できるようにしたいと思います。
吉野亜湖