日本茶の最大輸入国であるアメリカで起きたお茶の裁判をいくつかご紹介したいと思います。
まずは、大正時代のお話です。
カーター&メーシー商会が、「これは納得ができない」と訴訟を起こします。
1915年6月に勝訴判決が出ています。
静岡にも支店があった全米一大きな茶商です。
その約20年ほど前(1897年)、アメリカで食品衛生に適さない混ぜ物や茶葉以外の茶を用いたりなどの不正な輸入茶を取り締まる条例(不純不正茶輸入取締条例)が施行されました。
19世紀後期、他の食品への安全性についてアメリカ人が意識し、条例を整備し始めた時期でしたので、茶も当然、その範疇に入ってきたわけです。
しかし、健康被害がない良質な茶を輸入するという目的で作られたはずが、20年間にわたって、法律的根拠を持たない方向へも独り歩きしてしまっている状態になったというのです。
輸入茶が、どのようにチェックされていたかというと、「財務省の規則」により「基準茶」が選択され、茶委員会(tea board)が、基準茶と比較審査されるという形です。
カーター&メーシーが指摘したのは、その「基準茶」が良質なものでないため、良質な茶が審査から落とされてしまったという、驚くような内容です。
この件で明らかになったのは、茶委員会が招集した専門家が審査する間は、いわゆる密室状態(輸入者は審査を見せてもらえない)で行われるため、隠蔽も可能ということです。これは法律上あり得ないことだと指摘されています。
そして、実際に調査したところ、委員会は、基準茶の選出や、審査を専門家に委任していたため(いわゆる任せっきり)、委員自身が再確認することはこれまでなかったこともわかったそうです。
この裁判は、カーター&メーシーが勝利し、食品の安全基準を満たせば、他の食品と同様に茶にも着色などの添加も可能ということが認められました。
(それまでは、1911年に健康に被害がない着色でも茶に関しては輸入禁止、という厳しい規則があったのですが、他の食品で認められている添加物を拒絶するのは逆に違法だという結論がくだったのです。これは茶業界にとって衝撃の判決だったことが、当時の新聞報道でもわかります。)
Carter, Macy & Co., Inc.... - NYPL Digital Collections
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吉野亜湖
静岡大学非常勤講師・ふじのくに茶の都ミュージアム客員研究員
日本茶文化史、近代の茶業史、茶道史を研究しています。
オンライン日本茶勉強会など主催中:FB(吉野亜湖)にメッセージ下さい。