煎茶の淹れ方(1) いつから湯冷ましをすすめたのか?

煎茶の淹れ方

 

いつから湯冷ましを推奨するようになったのか?

近代の茶の淹れ方について調べてほしいという宿題をいただきました。

日本茶インストラクターのテキスト等で、煎茶を淹れるときは70度くらいに湯を冷ましてと教わりました。(私は10期生なのでその後変化あるかもしれませんが)


明治、大正時代は、煎茶は主に輸出用に製造されていたので、茶業組合も海外向けの淹れ方については積極的にPRしてきましたが、

大正末くらいから、国内需要の喚起のためにも、国内向けの淹れ方ガイドラインを提案したらどうかという意見が出てきます。

以下はは、日本茶の輸出業社 富士製茶会社の原崎源作が提案したものです。彼は輸出促進の委員会メンバーでもありました。

 

大正13(1924)年の全国茶商招待会にて

 

原崎源作が「全国の茶業者諸君」に向かって問いかけました。(大正14年5月『茶業界』8頁に掲載)読みやすいように現代仮名に改めています。

 

煎茶の愛好家や茶道の先生方は、知らずしらず濃い茶を好むようになり、それを一般の人にも勧めたがります。

 

我ら茶業者の注意すべきは、初心の青年男女に茶は美味いものであるという快感を与えるように適当の濃度の茶を供して嗜好をすすめていかねばなりません。

 

それが我ら茶業者の使命であると信じます。

 

幸い今回は全国の茶業者諸君がお集まりのゆえ、煎茶の淹れ方についてご意見を伺い、将来、煎茶の淹れ方の基準というべきものを作りたいと思います。

 

なにとぞ忌憚なきご批評を仰ぎます。

静岡県茶業組合聯合會議所宛てに郵送ください。)

 

 

ここに述べられたママの「煎茶の淹れ方」が、なんと、大正14(1925)年12月刊行の『茶飲みばなし』に「煎茶の適當な淹れ方」として、少し編集されて掲載されていました。↓

「煎茶の適當な淹れ方」(『茶飲みばなし』国立国会図書館デジタル)

原崎の名がないのと、茶業者への問いかけではなくなっていますが、淹れ方は、原崎の提案と全く同じです。

『茶飲みばなし』の序文に、

 

帝国農業新聞社の滝井國平は、『京都茶業界』を創刊し京都茶業界の実務に関わりながら得た資料を基に、この本を編集した。

 

とあります。

 

となると、やはり、原崎源作の提案した煎茶の淹れ方が、ここでも紹介されていたということでしょう。(もう少し調べてみますが)

 

そうなると、、、国内の煎茶の淹れ方PRの基礎が、ここから始まるということでしょうか?調べてみるのは面白いと思いました。

 

海外戦略会議で、紅茶も緑茶も同じ淹れ方を提案するのではなく、緑茶の淹れ方は独自に示していくべきだと、原崎源作は主張していました。(「西郷文書」昭和5年)

 

日本茶業者の使命というものを原崎は常に感じ、実行していたと感じます。

そして、きっと原崎なら、どこにだれがコピーしようとも、逆に広まることを喜んでいたと思います。

(引用文はブログでは読みやすいように現代語に改め、要約している部分もあるため、原文にあたることをおすすめします)

 

吉野亜湖(茶道家

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静岡大学非常勤講師

ふじのくに茶の都ミュージアム客員研究員


参考

帝国農業新聞社 編『茶飲みばなし』,帝国農業新聞社,大正14. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1018817