ユーカースが見た「台湾と日本の茶」

台湾と日本の茶

 

『ALL ABOUT TEA』の著者ユーカース主筆を務める『Tea & Coffee Trade Journal』(1907年13号)の記事ですが、

 

なんと、表紙が大谷嘉兵衛!(まだ若い雰囲気で感動)

 

ユーカースは、早く父を亡くし、大谷嘉兵衛を「第二の父」と慕っています。

この号に台湾と日本茶についての記事が掲載されているのです。

 

ニューヨーク市立図書館で調査していたので、共有させていただければとお書きします。

改めて、台湾と日本の茶

Tea in Formosa and Japan

「By Sir. Oracleとして書いています。(p11)

ユーカースのペンネームではないかと思いますが、「サー オラクルの手紙」という形式をとっています。(なぜ?名前を書かないのかわかりません。)

しかし、ユーカースは明治40年4月14日に横浜入りしているので、確定でいいと思います。(ボスからの手紙という意味で編集者が書いたのか?謎ですが^^内容からしてもユーカースが書いたと考えてよいと思います。)

 

1907年4月20日、日本茶業の調査を終え、中国の蒸気船に乗り、ホノルルへ向かった。ホノルルから日本と、1895年から日本の統治下におかれた台湾の茶についての手紙を書く。

 

The Trip to Formosa(p11)

 

2月19日、厦門から台湾に入った。(船に乗っていた白人は私だけという中)淡水についたのは午後2時だ。

 

台湾の地理について解説あり、日本統治時代になって「台湾の地名は日本名と中国名が採用されているので混乱の元となっている」と指摘しています。

 

台湾の原住民は中国統治時代なども経ているが、日本人に対してとても好意的(friendly)に見える

 

ということも書いてますね~(よかった)

 

添えられたお写真は、「安平鎮の官営茶工場」と「試験茶園」(まだ植えたばかりの小さな茶樹たちです)の二枚。(p10)

 

Tea in Formosa(p12―14)

 

4,000万ポンドの規模のアメリカ茶市場に台湾茶が登場したのは40年前、この時、中国茶のシェアは80%で、日本茶は20%。

 

40年前と言えば、インドの茶が、97%中国茶が占めるイギリス茶市場に出てきた頃。今や、インドの茶がイギリス茶市場(2500万ポンド規模)を独占し、中国茶はわずか2.5%となった。

 

 

(それはすごい)

 

日本茶台湾茶はカナダを含む北米市場で伸びてきた。1906年アメリカ茶市場は11500万ポンドと伸び、台湾茶は15%程度のシェア。ただこの状態をキープするのはインド、セイロン茶の台頭を考えると厳しい。

 

台湾の茶園は高地が多い。土壌や気候も栽培に適しており、総面積は79858エーカー。年平均2000万ポンドの生産量。金持ちの中国人オーナーが経営している。

 

そういえば、この現状に対し、台湾茶業政策で、貧しい農家さんたちが潤うように回していくということを掲げていました。→これは別稿に書きますね。

 

台湾烏龍茶は、アメリカで香味に優れているため高値で取引されている。茶を購入する消費者は、価格に敏感である。アメリカでこの10年間、台湾政府は万博や催事、書籍など様々な手法で広告を展開しているが、シェアは伸びていない。日本茶と同様に低価格品との競争に苦しんでいる。

 

機械製造の紅茶と並ぶ価格帯にする必要があるため、台湾政府が機械製茶の試験をしたが第一回目は成功しなかった。

 

ここで、烏龍茶と緑茶、紅茶の製法を比較して書き、すでに機械化が進んでいる紅茶や緑茶と違い、烏龍茶の製法は手作業で機械化が難しいと述べ(以下)

 

All of its(烏龍茶の) various operations being carried on by hand.

Thus the process of manufacture for oolong teas as contrasted with those employed in the manufacture of green and black teas is not conducive to the production of a cheap tea.(P14)


さらに流通も複雑でコストカットが難しいことを伝えています。

 

農家は小規模で、「製造者」ではない。

そして、中国人ブローカーやコンプラドルの手を経て外国の輸出業者に渡る。

全て中国式で行われているので、現在、台湾政府は生産と流通コストを下げる努力をしている。

 

そして肥料による生産効率のアップは実を結んでいたようです。

藤江勝太郎(1865~1943)氏の功績をユーカースは書いています。

Mr. Fujie, the tea expert, has been endeavoring to show that the application of proper fertilizers to the cultivation of the plant will increase the productivity of the plant by at least 75 per cent. Without in the least ruining the flavor of the tea. He has been demonstrating to the growers through experiments performed by him in his model gardens That, after deducing the cost of the ferilizers, growers can effect an increase of at least 40 per cent. In the productivity of the plant. Branches which would ordinarily require pruning in ten years are enabled to bear for twenty years throufh the incresed vitality imparted to the plant by the intelligent aplication of fertilizers, so Mr. Fujie contends.(p14-15)

 



さいごに、なんと、なんと、緑茶製造のところで、

着色についても触れていました!!

(これは別な原稿に書きますね!楽しみに)

 

The leaf, after undergoing this process(荒茶製造), is green, although coloring matter is generally introduced to effect uniformity of color. The coloring matter introduces into the tea a peculiar flavor, as is the case with the Japan tea sold in the United States.(p12)

 

 

製茶後に「色を均一にするため」着色する。そして、え?アメリカで販売されている日本茶がそうだが「着色剤が独特の風味をもたらす」?

 

この当時の日本茶の着色に対して、アメリカでは嫌悪感なく書く人も多く(むしろアメリカ人は着色を好むと書くことも多い)、外観を良くするとか、品質保持(見た目の劣化を防ぐ)という目的は書いてありましたが、ここに初めて「風味」にも影響するというのを確認しました!!

もしかすると、、、「再製」つまり再乾燥によって、青臭さが取れ、香ばしくなるという評価がありましたから、coloring matter は再製作業全体のことを言っているのかもしれないとも読めました。(しかし素直に読むと「着色剤」なのですけどね)


謝辞 梶原氏にこの記事について教えていただいて見つけられたことを感謝申し上げます。

 

長くなったのでここで一回中断。

次へつづく

『Tea&Coffee Trade Journal』1907年13号(ニューヨーク市立図書館蔵)

 

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吉野亜湖

静岡大学非常勤講師・ふじのくに茶の都ミュージアム客員研究員