輸出茶ラベル「蘭字」を読む 「サン・ドライド」という日本茶とは?

「サン・ドライド」という日本茶とは?

明治、大正、昭和の日本茶の輸出茶ラベル「蘭字」を読むと、

Sun Dried(サン・ドライド)


というお茶の種類があったことがわかります。

 

そのまま直訳すると、日干し(番茶)のことかな?と思ってしまうかもしれません。

 

大正初期の輸出商の記録①*1では、薄く色づけした釜火茶(仕上げの段階で再火入れを鉄釜を用いて行った茶)と在ります。

 

「明治四十四年以前は着色いたしたので黒鉛、石膏、紺青、黄粉、パラフィン等を使用して茶に色着けをしたものでありました。その時代には釜火茶も、(1)パン・ファイヤード、(2)サン・ドライドの二種に分けましたが、これは着色の濃淡によるもので、濃いものをパン・ファイヤードと申し、淡いものをサン・ドライドと唱えたのであります。」

 

横浜居留地での釜火入れの様子については、

 

「中国人カンプという総取締がおります。女工が小さな篭に5ポンドの茶を運んでくると、カンプの号令で釜の中に入れ、40分~1時間かき回して火を入れます。(炭火でかなり強火だったようです)それを取り出すときに着色料を入れるのであります。それから冷釜に入れて20~40分かき混ぜますと光沢がでます。」

 

と説明されています。

 

ところが、明治の横浜居留地に出入りしていたと思われる人が書いた別な記録②*2籠火入れ(バスケット・ファイヤード)と同じく、籠での仕上げ火入れをした茶で、最後に、釜火茶と同じように熱を掛けない鉄釜に着色料を入れて着色したお茶、と在ります。

 

サン・ドライド製は、「籠にておよそ45分ばかり焼き、全く手揉みをなし、しかして、火気のなき釜にて薬を加入し、釜茶のごとくかき回はす」

 

共通することは、釜火入れ(一番取引量が多い)でも、籠火入れ(釜火より高級品)でも、着色された茶が「サン・ドライド」と、呼ばれていたようです。

 

しかし、パン・ファイヤードは、フライパンのパン=鉄釜のことで、ファイヤードは、火入れの英語ですので、納得できます。

 

そして、バスケット・ファイヤードも、籠と火入れ、という英語から 意味が連想できますので、納得できます。

 

では、なぜ、「サン・ドライド」日+乾燥という英語の意味を連想させない茶の名前として用いられたのでしょうか?

 

これは、不思議です。

 

それとも、太陽の色として黄色がイメージされたのでしょうか?

『All About Tea』1935の著者W.H.ユーカースは大正13年に日本を訪問し、日本茶業者に資料を確認しながら書いていますので、信頼度が高い内容と思われます。

この本の17章「Tea Trade History of Japan」には以下の記述を見ると、サンドライドは「黄色がかっていたのかと推定できます。

 

この時代(1800年後半)、釜茶は籠茶同様、中国秘伝の方法で着色加工されており、無着色であるはずの「サン・ドライド」でさえ、もっともらしい色を付けるために、何らかの黄色の物質で処理されていた

 

 

ただ、ここで、もう一つ、明治21年静岡県茶業報告第三号」③*3を見てみると・・・

 

静岡県製茶会社が輸出したお茶、「無色燥」に「サン・ドライドと、振りカナが書いてあるのです!!

 

着色していない茶、ということでしょうから、これは注目です!!

 

県から出された公的な報告書と、茶商や現場で実際に作業されていた人が書いている言葉では異なることもあるでしょうが、もし、無着色の茶をサンドライと明治前半で公式に呼んでいたのであれば・・・

 

もしかすると、本当に「日干し製」(多田元吉の明治代の講演記録では、外国輸出用には日干し乾燥をしないようにと注意をしていることもあるので、国内に多くあったと考えられます)の茶が、まさに「サン・ドライド」と呼ばれていたのではないか

 

とも推測できます。

 

日干乾燥(自然乾燥)なら、鉄釜で炭火入れ乾燥されるときに着色されることもないでしょうから、最初はそのようなお茶に対しての名称だったが、その後、その雰囲気(外観)を持ったお茶を「サン・ドライド」と呼んでいたのであれば、英語のSun Driedという名前が付いたのは納得がいくのですが。

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(『蘭字 輸出茶ラベルの100年』第六回世界お茶まつり実行委員会事務局

協力 静岡茶共同研究会)

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吉野亜湖(茶道家・茶文化研究者)
静岡大学非常勤講師

 




 

*1:富士製茶株式会社 原崎源作『輸出再製茶 並ニ 其沿革』静岡県再製茶業組合,大正5 

*2:田中清左衛門『製茶緊要方法録』明治20では、

*3:『製茶貿易関係史料』横浜開港資料館所蔵(粟倉大輔『日本茶の近代史』,2017,p81