「わび」って何?

茶道で言われている「わび」という言葉、軽く使ってますが、説明すると、何?


・・・ということで、数江教一氏の著作『わび』という本からひも解いてみましょう。

 

言葉としては、

 

もともと、思い煩(わずら)う、はかなく思う、という「わぶ」(動詞)からきている。

 

日本最古の和歌集万葉集では、「思いわぶらむ」など、思いわずらう、とか、もの悲しく思う、という意味で使われている。(7世紀後半から8世紀後半)

 

 

平安時代古今集では、「わびぬれば」など、不遇な状況とか、心細い生活状態についても使用され、いずれにせよ、消極的な意味あいで使われています。

 

それが、室町時代になると、風雅な心の持ち主なら、立場や場に相応しく「わざともわびてこそ住む」というような、積極的な意識が出てくるのです。(謡曲『松風』)

 

私はしたことがないのですが、キャンプを楽しまれる方たちは、癒しというのもありますが、自身を世の利害打算などの関係から切り離して、自然そのものに近づけていく、回帰していくということを無意識に楽しんでいらっしゃるのかなと、これを読んで思いました。

 

数江氏は、室町時代の庭園枯山水)について面白い分析をされています。

 

庭園は、自然を人工的に再現しようするものだが、単なる「模写」でなく、「心の表白」である。(45頁)

 

これは、茶室で花を生けることにも通じます。

花は野にあるようにいけよ」という教えがありますが、単にそのまま持ってくるということではなく、「自然を超えることで、かえって自然の本質を求める」という行為です。(44頁)

 

水墨画に対しては、

 

水墨画は、潤のある淡墨、光と艶のある濃墨、かすれて乾いた渇墨など自由に配合することによって、色彩以上の色彩をうちに秘める。色彩を書くがゆえに、かえって観る者に無限に多様の色彩を想像せしめる可能性がある。(23頁)

 

写実的な手法は、客観的な真実性を求めるのに対し、

水墨画は対象の真髄を主観的にとらえ表現しようとする、というのです。

 

いよいよ、そして、「わび」茶人ですが、利休の弟子であった山上宗二という方が書いた本にこのように書いてあります。(現代語訳)

 

名物道具を持たず、胸の覚悟、作分(創造性)、手柄、この三条件を持った者を「わび数寄」と言う。(『山上宗二記』)

 

山上宗二は、秀吉を何度も怒らせ、最期は耳と鼻をそがれて打ち首にされたという有名なエピソードが伝わっている茶人ですよね。

 

茶道について「わびさび」と、「わび」「さび」をセットの言葉として使うので、「わび」と「さび」の違いは何か?という質問がありました。

 

え?質問を受けて、その時私が思ったのは、

「わび茶」「わび茶人」とは言いますが、

「さび茶」「さび茶人」という表現は聞いたことがありません。

 

「わびさび」って、何?

というところから、まずは、「わび」について考えをまとめてみようと思いました。

 

実は私の修士論文は茶道の逸話から考える「わび」茶でした。。。

(思い出した!はるか昔のこと。)

 

そのとき、「さび」というワードは、「さびたるはよし、さばしたるは悪し」(自然と寂びたのはよいが、わざと寂びさせるのは良くない)ということくらいで、あまり「さび」についての違いを考えたことがありませんでした。

 

(だいたい、茶道をしている人は「わびさび」なんて言うのでしょうか?「わびてるねえ」は言うけど、「さびてるねえ」というのは聞いたことがない、、、でも、なぜ?)

 

ましてや、「わびさび」セットでの考察はしたことがありませんでしたので、反省して、考えてみようと思います。

 

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牧谿画(大英博物館蔵)


(つづく)

吉野亜湖(茶道家

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もう少し説明を追記しておきますと、

室町時代の文化は、観察する対象から離れて、利害打算にとらわれず、対象そのものを見極めようとする態度、そこに人生の生きがいを見出そうとする立場 内面的には、人生の最も奥深いところを見つめようとする(42頁)ーーここがあったので、「わび」が積極的意味を持ち始める。

 

唐物鑑賞による優れた美術品や工芸品の美に対する秩序を形成した東山時代の知識人の洗練された美的教養が、観念の世界、内面的深さを求める基礎を作った。(80頁)ーーこの基礎があったので、次の「わび茶」「わび茶人」が生まれてくる。

ということで、つづきは、わび茶人たちの説明に行きます。(楽しみに)

 

一杯の茶に含まれた驚くべき歴史~『Green with Milk &Sugar』より~日本茶の貿易商「ヘリヤ商会」の事

ロバート・ヘリヤ先生のご本『Green with Milk &Sugar』

~日本の緑茶がアメリカのティーカップを満たしていた時代~

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少し前のブログで一部ご紹介しましたが、今回は、ヘリヤ先生のルーツについて書かれているところを。

日本茶の歴史について知りたい方は、無視できない部分です。

ヘリヤ先生の祖先は、日本茶の貿易商でしたので、その歴史にも触れられています。

 

(ヘリヤ商会は現在、静岡に本社があり、日本人の経営者に引き継がれています。)

 

皆さんも日本茶貿易の先駆者、また、坂本龍馬など幕末の志士の庇護者としても有名な大浦慶(この方を知らない方はいないでしょう)

 

嘉永6年(1853)に、出島のオランダ人テキストルに茶の見本を託し、イギリス・アメリカ・アラビアの3ケ国へ送りました。3年後に、見本を見たイギリス人貿易商ウィリアム・オルトが長崎で、大量の茶を注文します。

(長崎のグラバー邸にもまだオルトの屋敷が保存されています)

大浦慶は九州一円の茶をかき集め、1万斤をアメリカへ向けにオルト商会を通じて輸出しました。

 

このオルトをサポートしていたのがヘリヤ一族

ここから日本茶貿易に関わっていたのです!

そして、ヘリヤ商会が設立され、静岡にその中心を移し、戦前の日本茶の貿易をリードする一商社として、日本茶の茶業組合によるアメリカの日本茶販促委員のメンバーにも選ばれています。

 

そのため、ヘリヤ商会の歴史を見るというのは、すなわちアメリカへの日本茶の歴史を見るということにもなります。

さらに、素敵な思い出話が序文にございます。

ヘリヤ先生は、日本茶の貿易商の妻であった祖母から、1930年代初頭、日本に居た時の話を聞いていたそうです。

 

私の二人の祖母は、日本茶を好んでいたアメリ中西部出身です。

 

ですので、孫の私には紅茶を出しますが、

大切なお客さまには、緑茶でもてなすのが常でした。

 

中西部の彼女たちの世代にとって

緑茶は、紅茶よりもエレガントな飲み物なのです。

 

また、この文章もかっこいいので、簡単な訳と、ヘリヤ先生の原文を引用させていただきます。


この本の執筆中も、茶の芳しい香りと穏やかな覚醒作用に支えられてきました。

そして、祖母のもてなし方に重ね、この一杯に含まれる歴史に驚いています。

 

 

(原文)Fragrant cups of that gentle stimulant sustained me during the writing of this book.With a nod to my hospitable grandmothers, I have found that a surprising about of history can be contained a simple cup.

 

私もいつも、お茶のカップが、何かをするときに共にあります。

皆さまもきっとそうですね。

 

 

吉野亜湖

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静岡大学非常勤講師

ふじのくに茶の都ミュージアム客員研究員

 

 



アメリカ初の日本茶試飲催事?

たぶん、間違いなく、日本茶業組合によるアメリカ初の日本茶試飲催事は、

911(明治44)年、西巌海外派遣員によるセントルイスの「グランドリーダ」デパートで行われました。

このデパートは日本茶好きでいらしてくださったようで、

同年、デパート内に日本茶茶店「東京ティールーム」をオープンしていたのです。

そこで、快く、日本茶の催事を4週間続けられたとのこと。

セントルイスの食料共進会2週間、百貨店4週間、スプリングフィールドの農産物博覧会2週間で2千人から注文を受け、「日本茶の香味は米人の嗜好に適したる」と喜んで報告されています。

 

この時、西巌は、ミルクやクリームを入れない方が日本茶は美味しいと伝え、新下さったアメリカ人に納得してもらえたとのことす。

その場で販売は遠慮して(地元の茶商のため)、C.F.ブランチ商会という地元の卸商に入ってもらい、試飲して購入したいと言われたら

  1. 注文票を書いてもらう
  2. 卸商が地元の小売店に販売する
  3. 地元の小売店で購入してもらう

という、面倒ですが、この流れで行ったところ、

その注文を受けた小売店さんが、お客さんが再来した時のためにと、在庫を持ってくれるようになったとのこと!

西巌さん(写真のおひげの方)頑張ってました。

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静岡県茶業会議所所蔵



そして、今回、判明したことがあります。

三重県の茶業研究課に保存されていた一枚の写真。

これも西氏が写っているのですが、
『茶業界』という雑誌では、「スプリングフィールドの農産物博覧会」の喫茶店ということになってます。

しかし、同じ写真の端には、サンフランシスコ博覧会とメモ書きがあるのです。
これは注意!

 

日本に送られてきたときに間違えてメモをしたのか?
『茶業界』の雑誌編集者が間違えたか?

さて、どちらでしょう。

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三重県茶業研究課所蔵




参考「日本喫茶店の仕組」『茶業界』1912年3月号(p58-59)

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吉野亜湖

静岡大学非常勤講師

ふじのくに茶の都ミュージアム客員研究員





手揉み茶と機械製茶~茶で「国を医する」

高林謙三のお話

明治後期から大正期には、手揉み茶から一部機械化

さらに全体が機械化されていく過程にありました。

1897(明治30)年、

高林謙三(当時66歳)粗揉機を発明します。

東京の茶試験場で、秋葉をもって日本一の手揉み名人大石音蔵氏(試験場教師、静岡県阿部郡久能村出身)と、この製茶機の公開比較試験を行いました。

いわゆる「手揉み」対「機械」の競争と注目が集まりました。

生葉を蒸し機にかけ、蒸し葉一貫三百匁をそれぞれ揉んだ。

機械は三十分で中揉まで完成。
手揉みは葉打ちも半ばというところだった。

しかし、時間はかかっても品質は手揉みの方が上だと
大石氏は高をくくっていたが、結果は品質的にも機械が勝った。


初日は「高林本人が機械を回したので、上出来なのだ!」

と大石氏は再試験を申し出ます。

そこで、二日目、弟子の遠藤定吉が回した。
これも早さも品質も大石氏の完敗。

うーん、それなら見物人でも試験しよう!と言うことになり、

 

三日目は、午前と午後に分かれて見学の一般人から回す人を選びました。

・・・結果は、、、やはり機械が勝った。

 

 

納得できなかった大石氏は、その次の日も次の日もと、

自分が勝つまで続ける気でした。

しかし、大石氏は一回も機械に勝てることなく、

ついに五日目、

「先生おめでとうございます、おめでとうございます」

と、高林氏に、疲れ切った形相で伝えたという。

その三日後に大石氏は高林氏を訪ね、

 

「あの機械を自分に譲ってくれ」と頼みに行ったそうです。

 

この高林式粗揉機は、静岡(静岡の松下工場が高林氏を静岡に迎え入れた)から販売が始まります。

現在の粗揉機も、この高林式を応用したものです。

(追記)

明治に日本の特許制度が始まり、
その取得2号、3号、4号が製茶機でした。

いかに当時はお茶が国内で重要だったかもわかりますね。
 
その特許を取得したのは高林謙三氏。
 
機械の発明をしようと決意したのは、なんと四十七歳から。(それまでは医者で「個人を医していたが、これからは国を医するのだ!」と茶の世界へ)
 
2号の「生茶葉蒸器械」(写真参照)は、「え?これが製茶機?」というような羽釜と底に穴が開いた引き出しが付いた木箱です!
 
3号は焙じ茶を作る機械(焙茶器械)。丸い缶に茶葉を入れ、囲炉裏で焙じて実験したところ、葉が焦げてしまい、これは煙が缶の外に出ないからだと、缶に穴を開けて送風することから発想が始まったそうです。
 
それから順調に発明を進めていったのかと思いきや、一連の製茶をこなせる機械が完成し、高林自らがハンドルを回してデモをしたところ美味しいお茶となり、多くの工場で買い入れてくれたのですが、石炭の加減や初めて見たハンドルの加減がわからずグルグル回して壊したり、「デモの時と違う機械だ、詐欺だ」と、家の前に次々と機械を叩きつけられ大騒動となったそうです。

それからの生活は厳しく、家も火事にあうなど、身の周りの物を質に入れては一日のお米を得ていたぎりぎりの発明生活。

そして、この機械の販売権をいち早く勝ち取ったのが静岡の松下工場さん。狭山の高林氏を掛川に招き、ここで機械製作を行う工場を造りました。しかし、その直後に彼が倒れ、療養しやすい家と工場をと、菊川に移動したとのこと。

~FBに書いたものですが、ブログで読めますか?という質問をいただいたので、ここに書き添えます。

参考『みどりのしずくを求めて』青木雅子

『高林謙三翁の生涯』森園市二

そして、松下工場での聞き取り調査より。

 


日本茶 #茶業史 #高林健

吉野亜湖(茶道家・茶文化研究者)

静岡大学非常勤講師

ふじのくに茶の都ミュージアム客員研究員

日本茶がアメリカのティーカップに満ちていた時のお話

ロバート・ヘリヤ先生の

Green with Milk and Sugar: When Japan Filled America’s Tea Cups

を読んでいます。タイトルも魅力的!

緑茶とミルクとシュガーが、アメリカのティーカップに満ちていた時代のお話。

紹介文に、「忘れられてしまったアメリカ人の緑茶好きだった歴史」という内容があります。

 

日本人も、日本茶を最も飲んでいたのはアメリカ人だった時代、知らないという方もあるのではないでしょうか?

そして、「今日のアメリカは紅茶の大消費国で、日本は緑茶の国である。」と紹介文。

序章でヘリヤ先生は、

現代、紅茶を好むアメリカ人はかっては緑色に着色されたお茶が好きだった。
日本人は今、緑色のお茶が好きだが、かっては茶色のお茶を飲んでいた。

 

この逆転現象はどのような経緯で起きたのでしょうか?
そんなことを明らかにしますと始めています。

 

ボストンティーパーティー(ボストン茶会事件)で、アメリカ人は「お茶は飲まない!」と宣言し、コーヒー党になった。それから、Tea(紅茶)を飲むようになったのは、リプトンなど地道な広告宣伝によって感化されていくから、、、という説が一般的ですが、実は、それ以前に、すでにアメリカ人はお茶好きだったのです。


19世紀は、中国茶(緑茶も紅茶も)、

そして日本との貿易が幕末に始まると、、、

日本茶によりアメリカの緑茶が民主化された。」

すなわち、全ての階級のアメリカ人が毎日の飲料として飲むようになったーーという言い方がとても面白いですよね。(直訳の方が面白いのでそのまま)

 

日本趣味」として特別な人々が飲むということではなく、です。

 

しかし、1920年代ころから、アメリカは、経済的理由と人種的偏見もあり、インド・セイロン紅茶を選択するようになっていった。

 

この本は、アメリカがイギリスの植民地支配から独立(建国)して以降の、アメリカ独自の”teaways”を描き出す。

 

岡倉天心は『茶の本』で、teaismという造語を示しました。これはたぶん、「茶道」にあてた言葉と思われます。

そして、ヘリヤ先生は「teaway」という造語を使って、アメリカ独自の喫茶文化を語ろうというのです。(日本好きのヘリヤ先生らしい)


アメリカではコーヒーをよく飲みますが、「tea」の方が洗練され、知的なイメージがあるそうです。それは、アメリカがイギリスの植民地であった時代からの流れだと考えられています。

かなりダイジェストしてますが、序章を読むだけでも面白いです。

amazonで試し読みも可能ですので、ご興味ある方はぜひ。

 

第一章は、アメリカのteawayの基礎となった時代のお話。

日本の喫茶文化の基礎も詳しく述べられています。

 

まだ、日本茶が輸出される以前のお話ですが、この基礎があったからこそ、日本茶アメリカ人に受け入れられたと分かります。

 

第二章は、南北戦争の時代。

リンカーンもお茶を飲んでいました^^。

日本はまだ幕末の混乱期。

その時代も日本茶アメリカ人に飲まれていたんです!

そのところが、詳しくわかりますよ。

第三章のタイトルは、
MAKING JAPAN TEA

 

いかがですか?

Japanese Teaではく、なぜ「JAPAN TEA」ブランドなんでしょうか?
そこも気になりますよね?

かって、日本茶は「Japan Tea」と書かれた浮世絵師によるラベル(蘭字 以下参照)を茶箱に貼って、輸出されていました。

それは、アメリカ人茶商たちが広めてくれた、初の国の名前をお茶に付けたブランド名だったのです。それらの経緯も読めます。

 

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斎田記念館「蘭字展」チラシ(企画展監修 𠮷野亜湖)

4章では、アメリカ中西部が最も緑茶ファンが多かったということで、その詳細について。

5章は、アメリカ人の好みが紅茶へと変わっていく頃について、話が進みます。

まとめの段では、現代のことにも触れていますので、一冊読むと日本茶の歴史も学べる素晴らしい本。

こちらに書いているのはほんの一部ですので、全体はヘリヤ先生のご本でお読みください。

(あと、この本の謝辞に、Special Thanks と、私のお名前も書いてくださっていて、本当に感謝なのです。だからでなく、とても本当にすごい本ですよ)

𠮷野亜湖(茶道家日本茶文化研究者)

ふじのくに茶の都ミュージアム客員研究員

静岡大学 非常勤講師

静岡県立大学 社会人フェロー

 

 

一期の茶会 on 中銀カプセルタワービル

《一期の茶会》

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中銀カプセルタワービル《一期の茶会》

世界的に有名な建築家黒川紀章氏による「中銀カプセルタワービル

・・・解体が目の前という「一期(いちご)」に、

なんと、この場で茶を飲むという会を開催させていただくことができました。

 

さて、この場で、どのように茶席や茶道具を組み上げていこうか?

実は、このカプセル、黒川氏が「茶室」をイメージして設計したと聞きました。

バスルームや棚などの空間を除くと、ちょうど国宝茶室「待庵(たいあん)」と同じく二畳くらいのスペースがあります。

若い時に大徳寺の瑞峰院で茶道修業をしたのですが、そこに待庵の写しの茶室があったので、毎日掃除をしたり、花を生けたり、お客様を案内して説明したり、茶会もしたりと、、、二畳の茶室の空間意識は、体に入っていたので、実はとてもイメージがしやすかったのです。

もともと待庵も、四畳半というスクエア(正方形)の真の茶室のスペースを床や水屋(準備の場)を除いて、最終的に「二畳」という最も小さな正方形の茶席となっているので、そこも共通しているように感じています。

そして、待庵の「床の間」は、隅(角)が土で塗りつぶして丸くなっており、「角」が無いため、空間の広がりを感じる造りになっています。

それが、なんと!カプセルのバスルームの角も丸く作られていたので、ここも共通しているように見えて、妙に落ち着きました。

丸窓は、茶室では「ヨシノマド」とも呼ばれているので、こちらも勝手に親近感が沸いています。


さて、この場で、どのように茶席や茶道具を組み上げていこうか?

お客様の背に丸窓?
お客様の目線は白壁?

と、考えていくと、部屋のオーナーの方から「丸窓こそカプセルの象徴」と教えていただき、

それなら!

丸窓と点前が共に存在しているのを目にできるように、お客様に座っていただくという配置に、決定!

床に座った方は、お感じになったと思いますが、意外と「狭く」という意識よりも、「必要十分」な広さだと感じられたのではないでしょうか。

実は、茶道の教え言葉で

「二畳には客3人
四畳半には客2人まで」

と、いうのがあります。
逆でない?と、思われた方もいますよね、これでいいのです)

広ければより広さを感じるように、

狭いところはそれもあえて意識すべき、ということなのか?

または、四畳半は正式な茶室のサイズでもあるので、一人のお客様とおつきが一人だけが最も相応しい、それに対して二畳はもっと心許す人々が一つになれる空間ということなのか?

はじめてこの言葉を聞いたときは、ハテナと思いましたが、座っていただけると納得するものがあると思います。

二畳であると、

釜との距離も近く、湯の音や茶筅の音なども聞こえ、ふと目を上げると、丸窓に銀座の高層ビル。。。

解体中のため、座っていると、工事の音や振動も直で身体に感じ、カプセル本体と一体になっているのも、実にこの「一期」の楽しみです。


そして、場が決まると、茶道具・・・

風炉先屏風」という茶席では「結界」(茶道具の空間)を作る屏風を、

 

置くか?置かないか?

考えました。

基本的には、扉など人が歩く可能性がある一角でなければ、「風炉先屏風」は不要と考えます。。。しかし、ここではあえて「結界」を作ろうと、背の高くない必要最小限のものを用意しました。

それにより、「茶の空間」をお客様と共有できたら、と考えたからです。

そこで、「曳舟(ひきふね)」という私が内弟子として住み込みで茶道を学ばせていただいた師匠の画のあるものを選びました。

これは、宗家が代々得意とする画題で、

 

舟に乗っている人から見ると、引いている人はふびんにも見えるのですが、、、大綱禅師は以下のように詠んでいます。

「引人も 引かるる人も 水の淡の 浮世なり・・・」
(舟を引く人も 引かれている人も 同じく水の泡のように儚い現世の姿)

禅や茶の境地から見ると、変わらない、同じだということです。

この「一期」の場に、曳舟で結界を作るのが似つかわしいかなと据えました。

他の茶道具はあっさり決まりました。

茶碗は、「青」にしよう。
そこで、秋景(加藤一房)さんという常滑の作家さんに、「青」の茶碗を依頼しました。

明るい青は、すでにこの空間に敷き詰められているので、少し黒味かかった落ち着いたもので、とだけお願いすると、、、

AURORAが出来てきました。

暗い夜空の「黒」が底に見え、上部に向かってオーロラの光がゆらめいているかのように白土が走り、その周りは「夜の青空色」に染まっているという景色が茶碗に描かれています。

オーロラも美しく人の心に残りますが、一瞬一瞬で姿を変え、消えゆくものでもあるので、ここで茶を点て、飲んでいただく器として、まさに相応しいもので、驚きました。

そして、他は「唐金の皆具」を用いました。「皆具(かいぐ)」とは、水指と柄杓立と建水と蓋置がそろっている茶道具で、お茶の世界では、「真」、わかりやすく言うと正統的な、フォーマルな道具です。

それを今回用いようと思ったのは、「茶室」でない場であるからこそ、「真」を合わせてみようかという試みと、もう一つ理由がありました。

実は、この道具は、この茶会のきっかけを作ってくださった、カプセル住人の方のお母様の形見でもあったからです。

長板という黒い漆の板の上に道具を乗せ、空間的に運ばないで置いておく方が、お客様にとっても狭さを感じさせないかと、「総飾り」(すべて使う道具を飾り付けておく)という形にしました。

しかし、まだこれを使うと決める前に、まずは焼き物は時間がかかるので、茶碗と蓋置を作家さんに依頼していました。

そのため、蓋置も一つできてきたのです。

「皆具」を使うことを決めたので、では、この蓋置は別な機会にしよう、、、と考えました。。。が、、、

あれ?
よく見ると・・・

丸窓のような形をしている。。。

これは全く作家さんは意識していなかったことなのですが、偶然、この形を作っていただけたようで、、、

それなら、と、今回は全てセットの「皆具」ですが、蓋置のみ、こちらに変えてみました。

そして、道具が決まると、菓子に悩む、、、

菓子と掛物のお話は、、、当日いらしてくださった方のみぞ知る、というお話で終わるのも面白いかなと思いますが、

この茶会は、映像プロデューサーで、カプセルの住人のマサ氏が動画で記録くださったので、いずれか、公開くださるかと思います。

茶杓と茶入れ(茶器、棗)は、「拝見」と言って、直接お客様の手に取っていただき見ていただいたので、こちらも、説明は別稿にて。

抹茶は?
最初から「これ」と決めていたものがありましたので、それを。

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一期の茶会 会記



 

最後に、この茶会を実現してくだいましたお部屋のオーナーの前田様、そしてマサ様、煎茶席をご担当くださった石部様、スタッフの皆様とご参加くださった皆様にお礼申し上げます。

吉野亜湖(茶道家






誰もがお茶について知っておくべきこと~大正編

大正時代に書かれた

『What Everyone Should Know about Tea』

~誰もが知っておくべきお茶のこと~

 

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『All about Tea』を書いたW.H.ユーカースの小冊子です。

 

タイトルからして、

手にしたくなるような一冊ですよね。


15ページくらいで短いので、目次というのはないのですが、小見出しをピックアップすると(順不同)

How it originated 起源

Where it grows, where consumed 生産地と消費地

How it grows 生産

How it is manufactured 製造

Tea characteristics 特徴

What kind to buy 買うべきお茶

Formosa teas 台湾茶

Japan teas 日本茶

China teas 中国茶

India teas インド茶

Ceylon teas セイロン茶

Java and Sumatra teas ジャワ茶、スマトラ

How to make it 淹れ方

How to serve it・提供の仕方

 

日本茶については、抹茶が菓子の原料になっていることも書いてあります。この時期からあったのですね。

 

日本の宇治産の抹茶は、多くの菓子やアイスクリームの香料として使用され、ピスタチオ並みの繊細な風味と色を与えています。

 

また、面白いのは、アメリカの食品店で一般に購入できるお茶は、1500種類以上で、その中で「日本茶」は100種類くらいある、というのです。

そして、

日本茶は「茶のホワイトワイン」
台湾烏龍茶は「茶のシャンパン」

とたとえているのですが、中国茶やインドについては何もたとえはないということです。


自分にあうお茶を見つけるというアドバイスでは、

基礎的なお茶の知識(産地、栽培法、製造法など)を把握したうえで、

「その種類の茶で最も高い=良質なお茶」を手に入れてください

と一貫しています。

お茶の淹れ方が、まず、自分が手に入れられる最高の茶を買うというのが、著者ユーカースならではのおすすめですね。

とってもお茶を愛しているのだなということがわかります。

しかしながら、お茶の選び方の話は、「人類がお茶に関わって何百年以上もたつのに、いまだに選び方がわからないという人が多い」ですよね、という軽口から始まってます。

 

そして、はじめに、このように伝え、

~お茶は古くから「快楽と健康の飲み物」として、また「喜びをもたらすが酔わない一杯」としても知られています。~

 

以下でむすんでます。(抄訳)

~一日のうち、いつ飲むのが良いでしょうか?アメリカでは午後飲むようです。自宅や仕事場での疲労を和らげ、効率を高め、仕事を幸せで成功に導くための最もさわやかな飲み物。その魔法の特性は、イギリスで試みられ証明された社会的慣習として、そしてアメリカで「社会的に正しいもの」であることは確証されています。~

 

この本は、タイトルからして気になっていたのですが、日本のコレクターの方が手に入れられたので、見せていただくことが叶いました。お礼申し上げます。

『All about Tea』1935年にこの内容がブラッシュアップされて25章に収まってますので、その翻訳ができたので、近々皆様に読んでいただけるようにしたいと思います。

参考:杉本卓先生訳『ロマンス・オブ・ティー(ユーカース著)にも、この小冊子と重なる箇所があります。第七章「茶の種類」の部分です。


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吉野亜湖

 

静岡大学非常勤講師

ふじのくに茶の都ミュージアム客員研究員

静岡県立大学 社会人フェロー