静岡のお茶が近代になり、輸出に向けて製法が固定されていく前、
明治以前は、どのような茶が作らていたのでしょうか?
『茶業五十年』『静岡県再製茶業組合略史』『静岡県再製茶業史』などに、
『茶業五十年』『静岡県再製茶業組合略史』『静岡県再製茶業史』などに、
「黒製」の静岡茶の製法について記載があります。
江戸時代の天保年間 (1830年~)に宇治の「青製」が紹介される前、
静岡では、「黒茶」「黒製」のお茶が主流だった。
その製法は、「生葉を釜蒸とし、蓆(むしろ)の上で揉捻し、
又釜で熬(い)りさらに蓆揉を繰り返したる上、桶で発酵せしめて風乾又は熱乾する」
(『茶業五十年』p44)
黒製については、足久保の狐石にも書いてあったと記憶してます。
(リンクしておきます)
(リンクしておきます)
http://blog.goo.ne.jp/junko-f2/e/011c8d07dd7c2f21b4d24a7639464843
掛川東山地区の聞き取り調査や資料調査の時も、
近代以前は黒茶の製法だったということを聴き、どんなお茶だろうと思っていました。
関連で、中村先生の「 番茶の民俗学的研究 」も参考になりそうなので、メモしておきます。
(ただし、こちらは近代の製法になっていく過程です)
http://ir.lib.shizuoka.ac.jp/bitstream/10297/3393/1/090501001.pdf
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吉野亜湖(茶道家)
静岡産業大学 非常勤講師
担当授業 日本茶文化史、日本茶概論、伝統文化演習
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吉野亜湖(茶道家)
静岡産業大学 非常勤講師
担当授業 日本茶文化史、日本茶概論、伝統文化演習